バイト奮闘記 vol.1
ファストフード店のバイトを初めて早2か月。
最も混雑が予想されるGWも別に普段と大差ない混雑具合で無事に乗り越えたところである。
ここまでのインプレを少々記しておこうと思う。
最初はそりゃあもう大変だった。
まず、仕事後の疲れが酷かった。
3~4時間ずっと立ちっぱなしってことがここ十数年なかったわけで・・・。
休憩を挟んでトータルで6~7時間勤務するのなんかもう二十年以上ぶりだし。
2、3年前にマイハニーがやはり立ち仕事のバイトを始めたころ、帰宅後の足の痛みを少しでも和らげてくれたらよいと思い、誕生日に送った足のマッサージ器が今では維水志専用機器と化してしまったぐらいである。
これこれ。パナソニックのエアーマッサージャー。
維水志の身長は171センチだが足は長くない。若い世代の女性だとそこまで身長がなくてもたぶん維水志の足より長いんじゃなかろうか。そう考えると維水志的にはもうちっとふくらはぎを覆う部分が長くてもいーよーな気がする。
まあでもこれ使うと足の痛みが確かに和らぐのである。なんか部分部分にあった痛みが分散され血行が良くなった感じがある。
これに随分と助けられたが、ここ最近は体が慣れてきたのか、これの世話にならずとも平気なことが多くなった。
ひと月前までは、バイトのあった日の本業への通勤の際、駅からオフィスまでの徒歩5分でさえ、足が痛くてやっとのことで歩いていたものである。
まあそう考えると丈夫な体だけが親からもらった財産なのかもしれない。
一方、生活時間帯も変わった。
朝6時起きが普通になった。
夜中の2時ぐらいまで平気で起きていられたのが、23時前には就寝しないと翌朝の体のキレが悪くなり、頭もボーっとしてしまいがちになる。
そんなもんだから早寝早起き習慣が身についた。バイトのない日でも8時ぐらいには目が覚めてしまうのだ。
で、肝心の仕事だが、最初のうちはトライ&エラーの繰り返しだったろう。
とにかくまあよくものを落とすのである。
ファミレスでバイトしてた時は、料理を提供するまでの時間に制限が設けられていた。
レギュラー時間帯は12分以内に、ランチタイムは8分以内に提供せよ、というものだった。
早く提供することで客の入れ替わりを早め回転率を上げて売り上げを伸ばすためだったのだが、その時の、煽られながら料理をしなければいけないプレッシャーを体がいまだに覚えているせいでどーにも焦ってしまうのである。
で、周りがよく見えてないせいか、あるいは注意力が足りないせいでモノを落とす。
モノを落とすとその分仕事が増えてしまい、作業効率が落ちて悪循環に陥ってしまうのだ。
最初、こりゃもう歳を食ったせいなのか?と思って随分と自分に幻滅したのだが、客観的に考えると、そーいやもともと自分は動きが雑なんだと気づいた。
家でもどこでもよくモノをどっかにぶつけたり落としたりしてるわな。
もうちょっと注意してモノに接すればそんなふうにはならんのだ、と気づいてからはだいぶモノ落としも減ったが、昨日やっぱ2回もやらかしちまった。
焦るとやはりダメである。
よく考えてみりゃ今作ってんのは基本ハンバーガーである。ファミレスの1品料理を提供してんじゃないんだから落ち着いてやりゃあ1つ作んのに1分もかからん。
だが、「ファストフード」の「ファスト」という部分を考えるとどーにも心が煽られてしまう。
実際、オーダーの入り方が尋常じゃない場合があったりするんで体感的にはファミレスのそれよりか焦燥感が高いかもしれない。
で、モノを落とす以外はまあ普通に仕事をこなせてるんじゃなかろうか。
なんたって周りはほぼ20代の若者が中心なわけだが、彼らと比べても遜色なくやれている、と、自分では思っているが、自己認識ほど当てにならんものはないから何とも言えない。
これからの扱われ方とか、ランクの上がり具合とかで客観的に見えてくるのだと思う。
そうそう。一応バイトにもランクがあるようなのだ。
一応、見習い期間は終わって普通ランク、つまり平民へとレベルが上がったのだ。
続きはまた近いうちに報告したいと思う。
カテゴリー整理
足かけ12年もブログをやってると、カテゴリーも無駄に多くなってしまっている。
そうかと言って、削ってしまうとカテゴリーを再編集しなきゃいけなくなるしそりゃもう大変。実際、削れそうなものもそう多くないし。
なので、カテゴリーのタイトルを多少変更する程度にとどめることにした。
そしてついでにこの記事の冒頭だけ書き換えて、カテゴリー「アバウト」のページにし、ブログ全体の紹介をすることに。
① バイク関連記事
1) バイクのメンテやグッズのインプレ
2) ツーリング・キャンピング ガチョウ倶楽部(TGC)の活動
3) 所有バイクによる日帰りツーリングなど
4) 所有バイクに関する日々の出来事やその所感
5) その他
② 旅行・グルメ関連記事
・主に、夫婦で訪れた様々な場所や食べ物の記録
③ エッセイ
・日々の生活・出来事に関しての主観記事や回顧録
維水志珠玉のエッセイ集
④ 俺の家シリーズ
・50代で持ち家を所有するまでの奮闘記とその後の記録
⑤ 趣味関連記事
・維水志の好きなものの記録
ブログ紹介
皆さんこんにちは。
当ブログ「Ninjaよ!私は帰ってきた!!」を訪れていただき誠にありがとうございます。
こちらは、25年ぶりにバイクにリターンした私、維水志萌一(いみなしほういち)がおくる、バイクライフを中心とした日々の出来事を綴ったブログです。
2010年にブログを開設して以来、記事の数もだいぶ多くなってまいりました。
カテゴリーを編集し、以下にその概要を記してございます。
興味のある記事をクリックし、どうぞごゆっくりとご覧になっていってください。
① バイク関連記事
1) バイクのメンテやグッズのインプレ
2) ツーリング・キャンピング ガチョウ倶楽部(TGC)の活動
3) 所有バイクによる日帰りツーリングなど
4) 所有バイクに関する日々の出来事やその所感
5) その他
② 旅行・グルメ関連記事
・主に、夫婦で訪れた様々な場所や食べ物の記録
③ エッセイ
・日々の生活・出来事に関しての主観記事や回顧録
維水志珠玉のエッセイ集
④ 俺の家シリーズ
・50代で持ち家を所有するまでの奮闘記とその後の記録
⑤ 趣味関連記事
・維水志の好きなものの記録
記事の整理中
FC2でブログを始めたのが2010年9月。
約25年ぶりにバイクにリターンしたのを機に書き始めた。
維水志萌一48歳。
途中更新しない時期があったものの、あれから間もなくブログ継続12年目に突入しようとしている。
干支が一回りしちゃったのよ。
そりゃ長い。
まさかここまでやり続けるとは思わなかった。
で、はてなブログへの移籍をしたのが今年の3月。
それが約1年半ぶりの更新となった。
実はもっと早く移籍するつもりだったのだが、
「せっかくなら10年間書き溜めた記事を整理してからにしよう」
とか思ってしまったせいで、なかなか手が付けられずにそのまま放置状態が続いてしまったのだった。
なので結局こうして移籍した後、つまり今、記事の整理を進行中なのである。
それにしても記事の総数が2,000を超えてるって・・・。
よくもまあそんなに書く時間があったものだと今更ながら自分でも感心してしまう。
しかもその内容のほとんどが割と長め。
だから、読み返すのにえれぇ時間がかかっているのである。
いままだ2013年の初めの方だし。
けど読んでみて思うのは、その2013年までだけでも随分とまあいろんなことがあったもんだ、ということだ。
あとわかったことは、「バイク」という趣味ができたおかげで、それがなかったらまずできなかったであろう人生体験ができている、ということだろう。
特に北海道ツーリング。
2014年の出来事だったからまだそこまで読んではいないが、8年経った今でも心の支えになっているほど耽美な思い出となっている。
ああ、ほんと、ライダーに戻れたこと、感謝だなあ。
それとブログをやっていなければ出会えなかった人たちと出会えた奇跡も痛感する。
それはそうと、読んでいて、このブログの12年間の歩みを大まかにまとめてみようと思った。
バイクライフと私生活の二面からまとめてみた。
・2010~2012年
バイクライフ:バイクリターン初期
四半世紀遠ざかっていたバイク生活に戻ってきて、右も左もわからずに右往左往している様が新鮮である。大型自動二輪免許も取得。
私生活:激動の時代
ブログを始めたころ、ちょうど引っ越してきたばかりだったのだが、さらにそこからまた引っ越しを余儀なくされるという激動期。
ネコのちゅーたが我が家にやってきたのが2011年。
・2012~2013年
バイクライフ:ガチョウ倶楽部発足初期
ブログとバイクという趣味を通して仲間ができ、キャンプツーリングという新たな楽しみも増え人生を謳歌中。
私生活:引っ越し先は賃貸の一軒家。ここで維水志、50代で家を建てるという一大決心をし、それに向けて準備を始める。
・2013~2015年
バイクライフ:夢で終わると思っていた北海道ツーリングの実現。まさにバイクライフはピーク時だったろう。
私生活:こちらも夢で終わると思っていた我が家の完成。しかもガレージ付き。仕事も大繁盛で絶好調。
・2015~2019年
バイクライフ:念願の大型バイクをついに購入。
私生活:仕事も相変わらず順調。安定期。
ネコのぴよ丸が2018年に我が家に。
夢を一つ一つ実現していって、ある意味マンネリ化しつつあった時代。このまま順風満帆に老後を迎えるんだろう、と呑気に構えていた。
・2020~2022年
バイクライフ:コロナ禍でバイクに乗ることもほとんどなくなる。当然更新も滞る。
私生活:こちらもコロナ禍の影響で行き詰まる。ブログネタもほとんど尽きる。
で、今また新たな気持ちで出発、ブログ再開、バイト開始、といった感じ。
12年かあ。
あっと言う間、っちゃぁ、あっと言う間ではある。
次の12年はどんな?
まだまだ老けてる場合じゃない、と思う。
次回はこのブログのカテゴリーについてまとめてみたい。
ツーリングプラン
続く何もない日々
むー。
もう載せる写真も特になくなってしもた。
前回までのエピソードで記した通り、3月から副業を始めている。
それで勤務希望日は本業がある曜日とそうでない曜日にかかわらず、朝7時から昼過ぎぐらいまでの勤務シフトでお願いしている。
特に朝早い時間帯だと希望者が割と少ないらしく、これまでのところ、週に5日は確実にシフトに組み込まれている状態が続いている。
それゆえ4月は本業も副業もない完全な休息日が1日しかないのである。
朝6時に起床、車で副業地へ向かい午後早い時間に終えて帰宅、ちょっと休んで本業のオフィスのある街へ電車で移動し夜10時過ぎに帰宅をする、という生活が続いている。
つまり、何もない日々が続いているのだ。
副業を始めたのは生活資金を稼ぐためであり、自分の趣味に使うためとかではない。
こんな、何もない生活がこれから死ぬまでずーーーっと続くと思うとなんかもう生きている気がしなくなってくる。
奴隷みたいなもんだろう。
心が死んでいる。
無。
そう、「無」なのだ。
まさに「いみなし」人生。
だからもうなんか痛みとかをあまり感じなくなってしまっているような気がする。
副業でミスをすれば、当然社員である若者からやいのやいの言われるわけだが、別に「悔しい」とか思わないのだ。
「まあ使ってもらってるだけ有難いんじゃなかろうか」
と、素直に思う。
心がマヒしてるってのはこんな感じだろうか。
そして今更だけど、否、この歳になってようやくと言ったほうがいいかもしれんが、自分という人間を客観的に見つめることができているような気がしないでもない。
要は何もない、ってことがよくわかった。
それがわかって以来、ある意味心が楽になったんだろうか、少々のことでは痛みを感じなくなったのかもしれん。
別にどーでもいーのである。
あ、こんなこと書いてるからって別に「かまってちゃん」じゃないからね。
ちゃんと三食食べていられるし、借金抱えて財産差し押さえになってるわけでもないので。
さらにはこの多忙な日々を嘆いているわけではないのさー。
だって、副業がなかったそれまでの日々と言ったら一日のほとんどの時間をゲームやったりアニメ観たりで、とにかく何も生み出さなかったわけで・・・。
それに比べたら何も考えずに心を無にして働いているほうがなんぼかマシな気がするのさー。
まあこの2年ぐらいずっと「廃人」同様の生活だったわけだが、今はまた別の意味での「廃人」になってんなー、とちょっと思ったんでこんなことを書いているのかもしれない。
あるいは
「それにしてもこんな日々が後何年続くんだろうか。終わりが見えてこない」
と、ちょっと不安になったのかもしれない。
話がどこに向かっているのかよくわからなくなってきたので、今日はこの辺りでそろそろ終わりにしよう。
まあホントに心が死んでいたらブログも更新しないだろうて。
はたらく萌一さま!
前回の続き。
そう。
不採用にされ過ぎて、もう半ばやけくそ状態になっていた。
思っていた条件と実際のが違っていた等はあるものの、11回もトライして採用されたのが1回しかないだなんて、自分の人としての価値観を疑ってしまう。
「ああ、やっぱ長年個人で自営業なんかやってっと、社会人として半端もんにしかなれないんじゃなかろうか・・・」とか。
「ああ、エイジズムってやっぱり存在して、もう自分はその対象になってしまったのか・・・」とか。
「ああ、これはさんざんクソじじいを罵ってきた報いなのか・・・」とか。
まあ最後のは違うかな。罵ったのはホント世間的に常識のないやからたちで「年配の方」だなんて口が滑っても呼べないような人柄たちだったし。
ともかくそんなんで、リクルート活動に対する感覚もマヒしつつあった。
「もう何でも来いや。何でも行くぜよ」と。
それでちょっと前から気になっていたのが、「高校生が活躍」とか書いてあるので、ぜってーダメだろと思って敬遠していた募集にまでトライすることになった。
まあ結果的にはそれが良かったのだけれども。
某ファストフード店である。
自営業を始めて以来、維水志のダブルワークはこれまで3回あった。
1回目はファミレス、2回目はパスタチェーン店、3回目だけが同業種だった。
そう。3分の2は飲食業だったわけで。
維水志の本業の始業が夕方からであることを考えてみりゃ、飲食業界で働くのが一番ダブルワークしやすいのである。
半月ごとのシフト申告制で時間が組みやすいし、割と決まった曜日や時間にシフトに入れてもらえるから収入もある程度安定する。
そんなわけで、この話の結末がどうなるか期待されていた方々の参考になるわけもなく、大変申し訳ございません。
で、この最後の応募の際、Webで作った履歴書を初めて使った。
それまでも履歴書が必要なケースは2、3回あったが、「用意してきて」という割に提出を促されずにそのまま持ち帰ったこともあった。
「雇用側からすれば、最初っから雇う気がないので履歴書を受け取る意味がないって判断したのかも」
そんな風に考え「まあバイトだし、結構適当なんだな。志望動機なんて書く必要もなさそうだ」と思っていたのだが、この時だけは志望動機もしっかり記入しておいた。
なんたってWeb上だから書き損じがないし、テンプレ的な内容を適当に書いときゃいいや、ってノリだった。
面接は現地で行うとのこと。
近いから遅刻することはないが、少なくとも10分前には着いて待っていたい。
で、到着後、すぐ採用担当の方が表れて「維水志さんですか?」と声をかけてくれた。
ここでは特に技能テスト的なことは行われなかった。
代わりに用意してきた履歴書を元にインタビューを進めたのだった。
担当官は、おそらくであるが履歴書の志望動機の欄を読みながら「ちゃんとしていらっしゃる・・・」と呟いた。
「(す、すんません・・。結構適当に書きました)」と心の中で謝った。
よ、よかった。一応ちゃんと用意しておいて・・・。
記憶が確かならば、20分程度の面談だったろうか。
終わりに面接担当の方が、
「結果はすぐにお知りになりたいですか?」
とおっしゃるので、
「すぐのほうが有り難いです(ダメだったらすぐまた次に応募しなきゃならんので)」
って、後半の( )内のセリフを言うか言わないうちに、
「じゃあ採用です」
え?
え?
要はこの場で即採用決定ってことなのだけれども、今までの就活のことを考えると、とても信じられなくて、最初状況がよく呑み込めなかったのだった。
「あ、ありがとうございます!」
と、言うしかなかったのだけれど、「え~!?そんな簡単でいーんか?」とちょっと思った。
まあでも雇ってくれることは決まったのだ。素直に喜ぶことにした。
そして何より救われた気分だった。
今までの努力が報われた気がしたし、やっぱ「縁」ってのはある、と改めて確信できた出来事でもあった。
それまでの11回、それらはやはり縁がなかったのだと言える。
働いていてもきっとうまくいかずに長続きしなかったんじゃなかろうか。
実際、この即日雇用決定の翌日に、10回目に応募したまかない担当業務の面接担当官から電話があり、欠員が出たからまだ間に合うのであれば雇用したい、という電話があった。
もちろん決まってしまったので丁寧にお断りしたが、ファーストフード店が即採用じゃなかったらどうなっていただろうか?
この件もそうだが、例の採用が決まっていたのに予定時間内に連絡が来なかったためお断りしたパン製造工場といい、流れが完全にファストフード店へ決まるように動いていたとしか思えないのである。
これを「縁」と呼ばずに何と呼ぼう?
かくして3月上旬から働き始め約1か月間の研修期間を経て今に至る。
で、楽しいのよ。
業務内容が。
毎日部活に行っているような感覚かもしれん。
こんな気分になれるのは縁がある所以だろう。間違いない。
まあただ一つ気になるのが働いている人の年齢層が幅広いってことか。
否、維水志だけとびぬけて年齢が高いのである。
店長や社員の方々ですら全員維水志より年下なんだもん、はは・・・。
まあ仕方あるまい。予想はしていたし。
本業でも顧客は若いわけで、別に問題はない。
なんかこう、いきなり異世界に召喚されたような感じがしないでもない。
異世界の魔王が突然日本にやってきて、マックならぬマグロナルドというファストフード店でまじめに働く、というお話なのだけども、その姿と自分を同一視してしまうのだった。
なんか、社会の仕組みの中の一員として働いているのが新鮮で不思議で面白い。