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北海道の記憶 スクランブル

昨日の続き。

そんな維水志の北海道行きの話が現実味を帯びてきたのは確か大学4年のときだったか。

ほとんどの同級生が大学へ進学する中、警察官という職を選び、我々より一足早く社会人の道を歩み始めていた「やーさん」が新車のホンダ・プレリュードを購入した。

これ、スカイライン・ターボに続き、社会人になってすでに2台目なのである。さすが大人。

当時はまだパワステが標準装備じゃなくて、ハンドルがすんげー重かったのを覚えている。乗れば筋肉がつくのは間違いなかった。

で、彼が、愛車のプレリュードで北海道を走りたいから一緒にどうだ?と、この維水志を誘ってくれたのである。

当時はまだ青函連絡船があり、確かJRが寝台列車で乗客と一緒にクルマも青森まで連れてってくれるっていうサービスがあったんじゃないかと思う。

そこから青函連絡船で北海道に上陸し、安いユースホステルをハシゴする、というような計画だった、と記憶している。

宿まで含めた全ての工程の予約も一ヶ月前には済ませていた。

しかし!

維水志の資金の都合で中止せざるを得なくなってしまった。

しかもその理由がアホである。

自分もどーしても車が欲しかったのだ。中古のゴルフを買うのに金が必要だった。

今から思えばホント、信じられないバカである。これが実現していたら、後ほどの人生にどんだけの潤いが与えられていただろうか。

要するに自分はその価値観が理解できない大馬鹿者だったのだ。

やーさんにも悪いことをしたし、もったいないことをした。

ちなみにやーさんとは今も付き合いはあるが、彼は過去のことは一切振り返らない男なので、このこと自体をすでに覚えていない。

この未遂事件により、維水志の「大学在学中に北海道に行く」という夢は絶たれてしまったのだった。

北海道上陸が現実となったのは、それから2,3年後ぐらいだったろうか。

青函トンネルが開通していたので、昭和63年以降、つまり社会人になってからだった、というのは間違いない。

これまた親友の「イチ」が北海道のスズに会いに行こう、と維水志を誘ってくれた。スズは大学卒業後も北海道で就職しているから未だにそっちにいるのである。

実は、イチはそれまでも何度も単独で北海道行きを成功させていたのである。

ここで「成功」と言うのには、いささか事情があって、つまり・・・・

今ではまず実行不可能な魔法を使っていたからである。

彼の計画はこうだ。

函館まではマジックを使い、北海道内は「青春18きっぷ」を使って鈍行で回ろう、と言うもの。

当時の青春18きっぷは5枚綴りかなんかだったが、チケット屋でバラでも購入可能だった。

夢の北海道旅行がとても安く実現できる、というおいしい話しだったので維水志もそれに乗った。

まだ雪の残る3月だった。

明け方の青森駅しばれるような寒さ、トンネルを抜け、一気に視野が開けた函館のどんよりとした空の画が、今でも維水志の脳裏にしっかりと焼きついている。

朝の市場でイカを食い、そこから2両編成の電車に乗って北上した。

その後の行程の詳細は計画したイチに聞かないとはっきりと覚えていないのだが、道東へ向かったのは確かだ。

青春18きっぷでは急行に乗れないので、乗り換えにやたら時間がかかった。

だが、不思議なもので待ち時間が40分程度なら「あー、そんなもんか」と気にならないのである。

都会で40分も電車を待つなんてあり得ないことだけど、あの旅行にはその待ち時間さえも楽しめる余裕があった。

どこかの駅でイカめしを食べた。

釧路湿原を通った。

で、どこかからレンタカーを借りて摩周湖へ行った。

霧の摩周湖の、霧が晴れている摩周湖をがっちり写真に収めた。

宿泊した旅館のカニ料理がそれまでの人生の中で一番おいしかった。

と、ここまでは覚えているのだが、そこから先は記憶がごっちゃになってしまうのだ。

そう。確か摩周湖には3回行っている。

だから屈斜路湖畔の温泉に入ったのがこの時だったか、他の機会だったのか、定かではなくなってしまう。

そのようにどの回だったかは覚えてないが、素敵な思い出はたくさんあるので、少し整理してまた明日綴ってみよう。

つづく。

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