四半世紀前・終章
そしてこのVT250Fは本当にすばらしいバイクだった。
譲ってくれた友人の話だと一万何千回転まであるタコメーターを振り切るほどにエンジンを回して鍛えたらしい。実際にメーターを振り切ることはなかったが、とにかくよく回るエンジンだった。確かレッドゾーンを越えるとメーターのインジケーターが赤く点灯する仕組みになってたと思うが、よく点滅してたっけ。
とにかく彼は無類のバイク好きで、北海道の大学から横浜の実家へ帰省するときもバイク、というぐらいだった。VTの次は(確かSRX400と言ったか)単気筒のものすごい音のするバイクに乗り換えたのだった。
オレとVTとは専ら足としてのしての付き合いが中心だった。大学だけでなくバイト先(田町にあるOCS海外新聞普及という会社)へ通うときにも世話になった。一国か二国(国道1号線か国道15号線)といった2車線でごった返した道路でも車をすり抜けながらきびきびと走ってくれた。気分爽快だったもんだ。
とにかく移動手段としての使用が中心でツーリング仲間がいたりするわけでもなかった。仲間たちと旅行をするときも交通手段は専ら車だったのである。
要するに徹底したバイク野郎にはなれなかったのだ。
原因の一つに整備の仕方ががよくわからない、というのがあるだろう。ニーハンで車検も要らず、だ。放っておいてもバイクのできの良さが原因で元気よく走ってくれるのだ。チューニングしようなどとは微塵も思わなかった。
さらに大きなバイクへ?
それもなかった。
というのも一度仲間の400ccのバイクを運転させてもらおうとしたのだが、それがまた400クラスとは思えないほど尋常にタンクがでかいやつだった。そんで確か立ちゴケしそうになったのか、してしまったのか、はたまたまたいだだけで止めておいたのかは忘れたが、とにかくもの凄い威圧感だった。
バイクの名前は覚えてない。とにかく「でかい」という印象。細身のVTに乗っていたオレにとってはなおさらで、「400=無理」というトラウマになってしまったのである(教習車は400だったのに・・・)。
またそこまで行かなくてもニーハンで十分だと思わせるくらいVTが素晴らしかったのかもしれない。
そんなわけでその後バイク関連で発展していく話はまるでなくなってしまうのだ。
大学を卒業し自営業手伝いを経て就職したあたりから自動車中心の生活へと落ち着いて行くのだった。
結局、VT250Fとの付き合いも4~5年ぐらいだったかと思う・・・。
バイク生活、凍結。
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