維水志と競馬(1)
昔からギャンブルと呼べるもので、かかわったことがあるのは麻雀か競馬しかない。
競輪や競艇をやる人がまわりにいないからか、車券?ボート券?を買ったことがない。
カジノは昔勤めていた会社の社長がカジノバーの店長と懇意だったせいで何度か連れられて行ったことはあるが、自ら進んで足を運んだことはない。
ああ、それとラスベガスでスロットマシンをやったことがあったか。
パチンコ。
残念ながら、あの空間に10分いられる忍耐力を維水志は持ち合わせていない。
麻雀は中学から始めた。
始めたきっかけがなんだったのか、覚えていない。
もしかしたら父親や、当時同居同然だった叔父が知人を呼んで卓を囲んでいるのをよく見ていて興味を持ったのかもしれないが、う~ん、はっきり覚えていない。
高校に入ると、仲間に麻雀病を伝染させた。
みんな見事に感染してくれたもんだ。
毎年夏には「48時間麻雀」と題し、2泊3日で打ちまくったこともあった。
第6回まで続いた記憶がある。
高一ぐらいは専ら「点一」で打っていたが、次第に「点三」「点五」と上がっていったものの、さすがに「点ピン」で打つことは数回ぐらいしかない、という健全な世界だった。
そんな麻雀かぶれも大学の後半までだったなあ。
大学の友人で麻雀が打てる連中がいなかったんで、高校時代の仲間としかやる機会がなかった、というのもある。
なので雀荘に出かけて知らない人と打つ、といった経験はない。
で、競馬だ。
ある人物と出会うまで、まったく興味がなかった。
なんたってうちの親父は競馬で身を亡ぼすタイプだったわけで。
家族に大迷惑をかけていたわけで。
毎週日曜になると、なんか怪しい電話をかけていたのを覚えている。
まあ、ノミ行為ってやつだろう。
こんな話をすると育ちがバレるね。
そんな家族不和の元凶に加担するわけにはいかないから、自分は絶対に競馬なんかやらん、と思っていたものだ。
ところが会社の後輩に競馬好きな男がいた。
ただこの男の場合、ただのギャンブルをやっているようには見えないのだった。
大穴を狙って一攫千金を得よう、という感じではなかった。
親父のように「何番と何番の馬」と言ったような言い方はせず、ちゃんと馬の名前で呼んでいた。
有馬記念では自分の好きな馬の馬券を購入する。
トウカイテイオーが買ったときゃ、そりゃすごい興奮していたものだ。
彼の名前を「チャカ塚ちゃん」と言う。
「維水志さん、こんど府中へお馬さんを見に行きましょう。楽しいですよー」
と、ある日、チャカ塚ちゃんに誘われた。
1回に掛けるお金も100円からでいい、と言う。
五千円もあれば一日楽しめるし、おいしい食べ物も売っていてる。なんたってお馬さんの迫力を間近で感じられるのがいいから是非行きましょう、とおっしゃる。
そこまで言われたら行かないわけにはいかぬ。付き合いもあるし。
で、東京競馬場へ行った。
そしたら本当に楽しかった。
競馬新聞の見方を教えてもらいながら、毎レース、一生懸命予想して300~500円ぐらい馬券を購入した。
それでビギナーズラックもあり、最初の方のレースでちょっと儲かったもんで調子に乗ったら結局最後は全部すってしまったのだった。
だが、帰り際、「五千円で一日こんなに楽しめるところはないですよー」と、見事にチャカ塚ちゃんに洗脳されたのだった。
その後、チャカ塚ちゃんと他一名で夜中に関越道をぶっ飛ばし、日帰りで新潟競馬場へ赴いたこともあったぐらい競馬が好きになった。
それ以来、随分と馬券を買ったものだが、師匠が良かったからか、親父のように身を亡ぼすといった愚かなギャンブラーにならずに済んだのは幸いだったか。
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