巨陳の、クイズダービー!
大橋巨泉さんのご冥福をお祈りいたします。
世界まるごとHOWマッチとかもあるが。
維水志が最初に彼を認識したのはゲバゲバ90分だろう。
まあそれはともかく、クイズダービーにはお世話になった。
高校卒業後、あまりにも仲が良かった仲間と共に、お正月三が日の何日目かをゲームをして過ごす、という習慣が何年か続いた。
大学生の頃だけだったと思われるが、もしかしたら社会人になっても、メンバーの誰かが家庭を持つまでは続いたかもしれない。
そのゲームなのだが、今みたいに何でも世の中が提供してくれる時代ではなかったので、自分たちでいろいろと画策しなければできないのだった。
普通に温泉旅行でもすりゃ良かったのだが、我々は違った。
オリジナル(と言ってもテレビのパクリ)のゲームをみんなで楽しむのである。
まあそんなイベントが何年も続けられたのは、自分で言うのもなんだが、ひとえに維水志の企画力があったからに相違ない。
パクリとは言うが、企画がパクリというだけで、準備する小道具とか、クイズ内容とかは全部自分で用意しなきゃならんのだからオリジナルと言っても過言ではない。
何をやったかと言うと、
クイズダービー、世界まるごとHOWマッチ、アイアイゲーム、ウルトラクイズ、人間すごろく、大追跡・・・
だったと思う。
最後の「人間すごろく」と「大追跡」はオリジナルで、後者はそーゆー名前だったかどうかも覚えていない。
やー、せっかく思い出したんで、暫くこれをネタにしよう(*´▽`*)。
じゃあ今日はクイズダービーだね。
いわゆるはらたいら側の解答者と、「はらたいらさんに三千点」ってかけるほうの側に分かれるわけだが、この日集まったたぶん20人弱ぐらいの人数がそれぞれの立場を入れ替えて2回転か3回転ぐらいやったと思うのだ。
つまり全員が一度は解答者になるわけだから、その分問題を用意しないといかん。
当時はネットもないもんだから、古本屋とかでクイズ本を探し回ったりしたのだ。
もちろん司会者は「大橋巨陳」こと維水志である。「きょちん」って・・・・。
アシスタントは現ごーしの奥さんである「もみちゃん」だ。これは毎回の決まりなのである。
で、「倍率、どん!」と言っても電光掲示板があるわけじゃないから、予め倍率を書いた紙をカレンダーみたいな日めくり型にして解答者の机の前に下げておき、それを各解答者にめくってもらうわけだ。
笑うなあ。
そうそう。この日は保育園を経営している仲間のお宅を拝借してやったのだ。正月早々から(;^ω^)
で、解答者は、みんなに見せる用の大きい紙と、予め司会者だけに見せるメモの両方に答えを書かないといけない。
そのメモをアシスタントのもみちゃんが回収する。維水志はそれを先に見て、誰から先に開けたら面白いかを考えて進めていくのである。
「では一斉に開けてみましょう」とか「誰それと誰それがおんなじ答え」とかのセリフはテレビと同じである。
ただ、解答者の名前は本物の芸能人の名を文字って付けてあるところは違う。
正解した場合、テレビでは解答者の頭上にあるパネルの色が赤く変わるが、そんなのも当然ない。
代わりに、電球を使って作ったランプを各机に配置し、維水志の手元にあるスイッチでつけたり消したりしたのだった。
点数をかける側はもちろん手書きで紙にかけ点を書いて前に提示するのだ。
テレビと違ってたのはBGMがないぐらいだったかもしれん。
まあ馬鹿げたイベントであるが、この上なく楽しかったのである。
何より、正月からそんなのに付き合ってくれる連中が20人近くいるってんだから、こっちも真剣に準備しないといかんのだ。
維水志のその数年の年末は、大掃除を手伝いもせず、それらの準備にひたすら追われていたのを覚えている。
それでもみんなが一体になってゲームに集中し、熱くなり、盛り上がるのであるを見ると、そんな大変さは何でもないと思えたものだ。
今みたいに、集まってんのにそれぞれがスマホをいじくりながら何しに集ってんのかわからんような時代とは一線を画すのであった。
みんなで一つのことを楽しめた時代である。
一応、解答者の時の正解数と、かける側に回った時の獲得点数で優勝者を決めたと思う。
みんなから集めた参加費を割り振って1位から3位ぐらいまで賞金が貰えたんだったかしら。
いい時代だった。
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