維水志バンド史 その二
高3になり、勉強の「べ」の字も頭の片隅にない維水志はどんどんバンド活動にのめり込んで行った。
そんな折、違う高校に進学した中学時代の友人フナモカから、彼のバンドのベースをやってくれないか、とお呼びがかかった。
フナモカとは中学卒業後も麻雀仲間としてのつながりがあったからなのだが、二つ返事でオーケーしたのはもちろん言うまでもない。
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太っ腹な高校で、バンドメンバーに他校性が含まれていても、文化祭の出し物である体育館のステージ演奏に出演できるのだと言う。さすが翠○高校である。
そのバンド、名前をJUEMと言ったと思うんだが、確かリーダーのミャツイが適当に付けたんじゃなかったかしら。
今思うと、文化祭に向けての臨時バンドだったんだと思う。
メンバーが寄せ集めな感じだった。
翠○生なのは、フナモカとスケキヨのツインギターとキーボードのミャツイの三人だけで、ボーカルは維水志と同じ高校のバンド仲間イチ、ドラムはこれまたどっから見つけて来たのか、学年が一つ下の霧〇丘高校のサトウというナイスガイだった(これを見てもやっぱドラマーはどこでもレアだったというのがわかる)。
つまり、6人中、翠○生は半分なのだった。
当然、翠〇の三人は仲がよくて普段からつるんでいるんだろうことが予想されたが実は違っていた。
後でわかったことだが、リードギター担当の翠〇生スケキヨも急きょ決まったようだった。
だってミャツイが「あいつ、へたっくそなんだよな~」と影で文句を言ってたし。
実際、フェンダーのストラト持ってるくせに音が作れないのだった。
本番でも開放弦を鳴らしてしまうという体たらく。
対してサイドのフナモカの上手だったこと。
で、初顔合わせが多い中、メンバーたちはリーダーのミャツイの自宅に招かれて文化祭でやる曲を聞かせてもらうことになった。
本番まで2か月足らずだったと思う。
そん時は、なんかわからんが、随分とワクワクしたものである。
なんか、出世したというか、バンドやってんだなぁ、自分も一端のベーシストになったんだなぁ、と感慨深かったし、ベースやってて本当によかったとつくづく思ったものである。
で、選曲はほぼホワイトスネイクだった。
そんときゃ全部ホワイトスネイクだと思ってたんだが、1曲だけDavid Coverdaleのソロアルバムからの選曲があった。それがBreakdown。
他は、Lie down、Walking In The Shadow Of The Blues、Outlaw。
全部初めて聞く曲だったけど、短期間で全部耳コピして演奏できるようになっただなんて、あの時の自分を褒めてやりたいものである。
そして、もう1曲は、山口百恵のロックンロールウィドウだった。
これは維水志とイチのリクエスト。
ただそのイチが本番前に喉を壊し出場を断念。
急きょボーカルを維水志と同じ高校の友だちの友だちで英語が得意な女子ホミちゃんに依頼するという、超ハプニングが起きた。
だがそのホミちゃんは、短期間(たぶん5日ぐらい)で前述4曲の英語の歌詞を覚え、あのDavid Coverdaleの曲を見事に歌い上げたのだった。
まさに天才。
また、この文化祭で、体育館ではなかったけれど、教室でのライブハウス演奏をやるバンドにも招かれていた。
そこでは四人囃子の曲と、確かジェフベックのBLUE WINDをやった。
両方とも最高のパフォーマンスだった。
たぶん、この時は絶好調だったんだと思う。
この時の演奏は今でもカセットテープに残されているのだが、デジタル化しておくべきだろうな。
この翠〇高校の文化祭が6月。
自分らの文化祭は10月。
その間、確か夏休みにこれまた別の知り合いと一緒に臨時バンドを作って上大岡のライブハウスで演奏した。
リーダーのキーボードの女の子が弾き語りをするバンドだったので、松田聖子のチェリーブロッサムと、八神純子のパープルタウンをやったが、後は覚えていない。
2曲ってことはなかったと思うのだが・・・。
そしていよいよ自分たちの番。
高校最後に一花咲かせなければいかん。
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