マイ歌謡編集後記 18
語りつくせぬ歌謡曲の魅力。
本日は維水志の思い出と共に、「81年夏~秋」と題してお届けします。
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オリジナルカセットに収録されてなかったであろう曲がピンク。
二十作目(81年-02)
キミに決定!/田原俊彦
スマイル・フォー・ミー/河合奈保子
守ってあげたい/松任谷由実
I LOVE YOU/オフコース
エスピオナージ/アリス
サヨナラ模様/伊藤敏博
ハリケーン/シャネルズ
キッスは目にして!/ザ・ヴィーナス
ス・ト・リ・ッ・パ・ー/沢田研二
少女人形/伊藤つかさ
ジェームス・ディーンのように/Johnny
ハロー・グッバイ/柏原芳恵
ギンギラギンにさりげなく/近藤真彦
ムーンライト・キッス/河合奈保子
悲しみ2(too)ヤング/田原俊彦
身の程知らずの無謀な自宅浪人生活を始めようとしていた折、現役合格を勝ち取った中学時代からの親友サケウチから電話がかかってきた。
開口一番「これからどーすんだ?」と言ってくるサケウチ。
それに対し維水志は、一大決心をした自分を誇らしげに思っていたので、
「英語以外は自宅浪人でなんとかする」と声高らかに宣言した。
すると、
「おまえよぉ、予備校へ行けよ」
と言うのだった。
ここでサケウチの名誉のために言っておくが、横浜の下町育ちってのは言葉遣いが大変よろしくないのでとっても乱暴に聞こえるかもしれないが、これが普通の会話なのである(横浜の下町育ちの人の名誉は傷つけることになったかもしれんが)。
続けてサケウチは、
「俺は予備校行ってたけどさ、予備校は漢字の書き順からしっかり教えてくれるんだぜ。ちゃんと受験に特化したところで勉強するほうがいいに決まってんだろ」
と言う。
後半の「受験に特化した」の部分は、実際にそう言っていたかというと記憶が定かではない。
だが前半の「漢字の~」の部分の記憶は正しいから、推測するにきっと彼はそういうことが言いたかったに違いない。
「国語、日本史は自分でやれる!青学合格者から参考書ももらったんだし。そして肝心の英語は習うからだいじょぶだ」と言い張る維水志。
だが「ちゃんとしたところで習え」という彼の意味を、この頃の維水志は残念ながら理解できなかった。
維水志が通っていた英語の個人塾の先生は、英語ペラペラでスチュワーデス(響きが懐かしい)に英会話を教えらえるほどの実力者であることは間違いないのだが、受験英語を効率よく教えられるのか?というと、確かに疑問だった。
実際、あの時習っていたことを思い出して今の自分の指導と比べると、当時の自分の頭の悪さもあったろうが、確かに受験向きではなかったと言える。
つまり、サケウチのアドバイスは、言わば「親代わりの」とも言えるほど有難いものだったろう。
彼には3~4歳年上の兄貴という受験経験者がいたし、自分の経験から言っても予備校に行くことが一番良いと実感できたからこそ、維水志のためを思ってあえて厳しい言葉を投げかけたに違いない。電話までしてくれて。
けども、維水志は違った。
自分は崇高なる決断をした。なのに何故親友のおまえがわかってくれないのか?と思った。
なんで合格してウキウキなやつに、浪人確定で負い目を感じている自分がそんなことを言われなければいけないのか?とも。
で、電話が終わった後、悔しくてめっちゃ泣いたのを覚えている。
わかってもらおうにも、これまで何の努力をしてこなかったのだから、まるで説得力がない。
その「まるでダメ男」加減マックスな自分がいたたまれなかったのだろう。こんなに泣いたのはおそらく幼少期以来だったろうぐらい泣いた。
サケウチにわかってもらうには、一年後に立派な結果を出すしかなく、この時点で何を言ってもダメなのはきっとアホな自分にもわかっていたはずだ。
けど、この電話のおかげで一層決意が固まったのは確かだった。
人生であれほど勉強したことは後にも先にもこの時以外にない。
我ながらよくやれたと思う。
自宅浪人生活の詳細はまた別の機会に。
そんな「まるでダメ男」継続中の維水志が今回語るべき曲は、
「ブルージーンズメモリー」「白いパラソル」「キミに決定!」
「風立ちぬ」「ギンギラギンにさりげなく」「悲しみ2ヤング」
彼らの曲がそれぞれ2曲ずつ入ってるや。
もう勢いがハンパない、否、今は「パない」というのだっけか。
「メモリーグラス」
維水志的には「おかま淳」と呼んで揶揄していたが、それすら今だと差別だと言われてしまうようだ。
「守ってあげたい」
おお、調べたら映画の主題歌だったんだねぇ。そーいや。
でもたぶん見てないからどんな映画だったかまるで覚えていない。
YouTubeで見てもわからんかった。
映画の主題歌がヒットするってのはこの頃はよくあったものだが、最近はどーなんでしょ。
「鳥の詩」
相変わらずテレビの影響はでかい。
これもテレビの影響。
欽ちゃんねぇ・・・。
維水志はラジオ時代を除いて彼が面白いと思ったことは一度もない。
一体、あの番組のどこが面白くて流行ったのだろうか?今でもわからん。
むしろ坂上二郎のほうがエンターテイナーとしては上だと信じていたものだ。
「ジェームスディーンのように」
銀蠅系の、いわゆるツッパリ路線の曲は一切無視。大っ嫌いだった。
そもそもツッパリが嫌い。
この曲の歌詞ではないが、似た系統のやつで、
「突っ張ることが男のたった一つの勲章」?
意味がわからん。一体、何に対してツッパってんだ?
それより少しは社会の役に立ったらどうだ?
何の役にも立てないことを「ツッパリ」という隠れ蓑を着ることで逃げ道を作っている連中にしか思えなかった。
一人じゃなにもできない弱い連中が集まっていきがっているだけ。
だからこそ、大人のクセに今でも徒党を組んで爆音を響かせるガラパゴス野郎が、当時のクソツッパリの残党にしか見えなくて、遭遇すると辟易とするのである。
じゃあなんでリストに入れたのかって?
う~む・・・。
「ハローグッバイ」
柏原よしえの歌の中で一番好きかもしれん。
あの振り付けとイントロがすげーマッチした感じで好きだった。
「センチメンタルジャーニー」
来たなー。
また新たなアイドル時代の始まりを告げるデビューだよ。
浪人。
決して無駄ではない一年だった。
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