マイ歌謡編集後記 26
語りつくせぬ歌謡曲の魅力。
本日は維水志の思い出と共に、「84年初期~春」と題してお届けします。
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二十八作目(84年-01)
つぐない/テレサ・テン
Rock'n Rouge/松田聖子
少年ケニア/渡辺典子
北ウイング/中森明菜
めざめ/石川秀美
釜山港へ帰れ/渥美二郎
モニカ/吉川晃司
ト・レ・モ・ロ/柏原芳恵
喝!/シブがき隊
一番野郎/近藤真彦
君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。/中原めいこ
気ままにREFLECTION/杏里
サザン・ウインド/中森明菜
誘惑光線クラッ!/早見優
週末になると人んちに集まっていた我々の仲間たち。
何をして過ごすかがいつも問題だったが、その中の一つに飲み屋へ行ってカラオケをする、というのがあった。
そういう飲み屋のことをカラオケバー、と言ったかもしれない。
当時まだカラオケボックスではなかったので、カラオケバーではステージに立って見ず知らずの他の客の前で歌うのが当たり前だった。
テーブルにリクエスト用の用紙とペンが置いてあり、そこに歌いたい曲と名前を記入して店員に渡すのである。
やがて順番がやって来ると、店員にテーブル番号と名前がアナウンスされ、ステージに上がって歌う。
今じゃ他人の前で歌うだなんて、想像を絶するほどのこっぱずかしさがあるだろうよ。
それが上手かろうが下手であろうがどんなやつでもステージに上がって堂々と歌いきるのだった。
信じられない時代だわ。
まあ正直、上手い下手なんかどーでもいいのだったが、やはり上手な歌い手の時は他の客の反応も良かった。
維水志は下手っくそだったんで、それなりの拍手だったが。
けど仲間はみんな歌が上手だった。
特にイチは、譜面もないのに即興でハモれるという離れ業をやってのけるので、重宝されて何度もステージに上がっていたものだ。
仲間がステージで歌う時は何故だか維水志が誇らしげな気分になれた。
また、仲間うちには女子もいたから、デュエットすることもしばしばあった。
一人なのにデュエット曲をリクエストしやがるやつもいて、そーすっと別のテーブルから見知らぬ女子が助けに来て一緒に歌ってくれる、なんてことも普通にあって、めっちゃときめいた、なんて経験を持つ人も少なくないと思う。
そんな風に、この頃は他人が歌うのを無視せずに、ちゃんと手拍子を打ってあげたり、合いの手を入れてあげたりするのがマナーだったろう。
今はなあ・・・。
今は、というか、カラオケボックスになって間もなく、人が歌ってんのをほぼ聞いてないのが当たり前みたいな感じになっちゃったよね。
そんなんだったら一人カラオケすりゃあいいのに、と思うのは維水志だけだろうか。
カラオケが流行りだした当初は、まだレーザーディスクだったと思う。
曲数だってだいぶ限られていたものだ。
今はもう通信カラオケだものなあ。ない曲を探す方が難しいってんだから・・・。
で、カラオケバーじゃない時は、普通のスナックで歌うのである。
いわゆる「ママ」という存在があるあのスナック。
若干二十歳過ぎで生意気にスナックに飲みに行ったりしているってのが時代を物語っている。
当時の維水志は今よりも輪をかけて酒が飲めなかったから、雰囲気を楽しむだけだったなあ。
確か仲間の誰かの父ちゃんが行きつけのスナックによく入り浸っていた記憶がある。
まだ大学生だってのに、よくもまあ・・・。
たまーにママ以外の、若いねーちゃんがいたりするのだけども、そーゆーとこでも不器用な維水志はトークを楽しむことができなかったし、ねーちゃんをトークで楽しませる術も持っていなかった。
つまらん性格である。
実際、やることがなくて、仲間のケイジと車で渋谷までナンパしに行ったことがあるのだが、ナンパに成功したのにもかかわらず、処理に困ってそのまま横浜のたまり場となっている仲間の家まで連れてきてしまった、ということがあった。
それでどーしたかと言うと、夜遊びしちゃダメだとか説教をたれて、電車の始発が動き出すころ最寄りの駅まで送って行って終わり、という意味のわからないことをしたことがある。
ありゃナンパされたほうも(確か八王子あたりから来た二十歳ぐらいの二人組だったと思うが)、一体、こいつら何なんだ?と思ったのは間違いないだろう。
そんな風に人生をだいぶ損しているのである。
だからか、その後も最初の会社でフィリピンバーに付き合いで連れていかれることがしばしばあったが、フィリピンバーの何が面白いのかさっぱりわかんなかった。
そしてそこで金を落とす連中の心理がまるで理解できなかった。
そんな「自分、不器用ですから・・・」とかっこイイセリフがとても似合わない維水志が今回語るべき曲は、
「つぐない」
女子でこれをカラオケバーで歌う人は結構多かった。
「涙のリクエスト」
またまた新しい風が吹いたね。
これもカラオケで人気あったなー。
タオル、否、おしぼりを振り回してたなー。
「釜山港へ帰れ」
まあそーゆー意味で演歌も人気があった。
だからこうしてマイ歌謡集に名を連ねているのである。
維水志自身が演歌を歌うことはほぼなかった。
「モニカ」
彼のデビュー曲かあ。
今じゃあんな渋い俳優になっているだなんて・・・。
♪セッ〇ス セック〇 〇ックス セ〇クス もう二回~
と、替え歌を歌っていたのは我々だけだったか。
アホだ。
「渚のハイカラ人魚」
これ、ハイカラ人形じゃなくて、人魚、なんだよね。
今気づいたかも。
まあたぶん歌詞はどーでもよかった曲だからに違いない。
♪キュートなハートにずっきん、どっきん!
だものなあ。
「ふたりの愛ランド」
カラオケのデュエット、当時の最大の人気曲。
お年を召した方々は「別れても好きな人」。
「2億4千万の瞳」
いやあ、この時点でもまだまだ現役で頑張ってるよねえ。
凄いと思う。
「君たちキウイ・・・」
いよいよ歌詞はどーでもいい時代に突入してしまったのだろうか。
「誘惑光線クラッ!」
以前に書いたのと重複するが、作詞家・松本隆の三部作の一つ。
「赤道小町ドキッ!」(1982)「誘惑光線クラッ!」(1984)「星間飛行」(2008)
最後のは、最初の二つから随分年月が経過してるし、アニソンの挿入歌だし、タイトルに「キラッ!」って入ってないし、無理やりこじつけた感がしないでもない。
けど、あんだけいろんな作詞をしていて、自分の作品にちゃんと共通点を見出しているのが凄いと思う。
ああ、あとネタとして使えるのが6回しかないのかー。
しかも社会人になってから書くことがほぼない・・・。
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