初めてパスポート取った時
維水志の初めての海外旅行はサイパンだった。
大学卒業後、最初に就職した会社の社長がサイパン好きだった。
それで、会社が繁栄のピークを迎えていたのか、社員旅行がサイパンだったのである。
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まあ海外、って言ってもサイパンは結構日本語が通じたし、団体旅行なもんで、あんまり海外旅行という感じはしなかったが、パスポート発行の手続きをしたり、国際ターミナルに行ったりと、人生で初めてのことが多かった。
そしてその旅行自体も、初めてがここで良かった、と言えるほど印象深いものだった。
とにかく海がキレイ。
透明度が何十メートルとかって言ってたっけ。
そしてまた夕日が美しかった。
いわゆるリゾートホテルみたいなところに何泊かしたのだけれど、そのホテルのプール、あるいは海で泳ぐとか、美味しいもんを食べるとか以外、あんまりやることがないのだが、随分とのんびりした旅だった。
日本じゃ考えらんないけども、明らかに車検切れだろう、と思えるサビだらけのサニートラックみたいな車両の荷台にいっぱい乗り込んで島内観光をしたのも印象的だった。
日本軍の戦車の残骸があったり、なんとか岬っていう、とても悲惨なことがあった場所とは到底思えない綺麗な場所を見て回ったりした。
で、また同じ会社の社員旅行で、次に連れて行ってもらったのがフィリピンだった。
ゴルフ大会も兼ねていたこの旅行、これはヒドかった。
もう、語るのもおこがましいほどに。
唯一良かったのは、好きな魚を選んでその場で料理してもらえるシーフードレストランが美味しかったことだろうか。
とにかく、一日も早く日本に帰りたい、と思わせるような海外旅行を、早くも二回目にして経験してしまうだなんて、なんてまあ不運な・・・。
まあ社員旅行ってのはそーゆーもんなのだろう。
で、その後、バブルも弾けてしまい、会社の業績も悪化の一途をたどることに。
そんで、あろうことか、社長がバブル時代に築いた財で新事業をサイパンで始めるのだと言う。
さらに、これまたあろうことか、その経営ポストとして、維水志に白羽の矢が立ったのだった。
まあ英語ができるから、という理由だったのだろうけども、ハッキリ言って、この頃の維水志ときたら、そりゃあもう英語力なんてないに等しいレベルだったのだ。
だって、大学でろくすっぽ勉強してなかったし、卒業後だって最初は自営業手伝いだったもんで・・・。
おまけに英語を学んでいる割に初めての海外旅行がサイパンで英語を使う機会がほぼないという・・・。
けども他に相応しい人材が思いつかなかったのか、社長は「とにかくお前、アメリカ大使館に行って就労ビザを取得してこい」というむちゃぶりをするのだった。
現地のスタッフを迎え、店舗のレイアウト等、ミーティングを行うのだが、英語が口をついて出て来やしない。
実際、社長の方がしゃべっていた。
社長から、「お前、なんで英語しゃべらんのだ?」と言われる事実。
いや、しゃべらんのじゃなくて、しゃべれんのですって。
実力がないのはそこまで明白だったが、当時から確たる自分の意思を持たない維水志が、流されるままだったのは言うまでもない。
「ああ、俺の人生も、こんな形で大きな転機を迎えることになるとは・・・」
とか、考えていた。まあまだ独身だった、ということもあるだろう。
で、当時はネットもないもんだから、ビザの申請の仕方、とか言っても右も左もわからんのだった。
たぶん、社長か誰かからアドバイスをもらい、それに従って英訳だけをやって書類一式そろえて大使館へ出向いたのだった。
そん時の様子を、今でもハッキリと覚えている。
受付場所となる部屋はかなり広い空間で、人がいっぱいいる。
雑然としている。
とにかく、窓口が複数あるのだけれど、どれも長蛇の列ができている。
とりあえず、ここでいいんだよな、と思える窓口の列に並ぶ。
が、維水志が並んでいる窓口の担当の女性の対応がめっちゃ恐ろしい。それが、さっきから目や耳に入ってくるのだった。
書類に不備があると、めっちゃキレて怒鳴ってくんのだ。
いわゆるヒステリー?
ああ、こーゆーとこで働く人だもの。きっとエリート中のエリートに違いない。
バカと接触したことがないんだろうな、きっと。
とにかく素人相手にがなりまくっていやがる。
今だったら絶対にパワハラだのなんだのって言われるレベル。
あんた、一日中それで血管切れたりしないんか?と心配になるほどである。
あ、これ、ホントの話ね。ウソみたいだけど。
で、やがて維水志の番がやってきた。
きっとヤバいんだろうなー、と思いながら、恐る恐る書類を手渡す。
案の定、キレられた。
「だからこれじゃダメなんですよ!!あんたの得意な英語で書き直したらどーですか!?」
とか言われて、何がダメなのかもわからないまま、全部放るように突き返されたのだった。
「あんたの得意な英語で・・・」
ここのセリフだけは確かに一言一句違わずにこう言われたのをハッキリと覚えている。
「そ、そんなにダメ?」
否、そりゃどーしたらいーか、こっちが聞きたいんですけども・・・。
だが、あの剣幕じゃ、普通の神経が通っている人で質問を返せる人はおそらくいないだろう。
無神経ならだいじょぶだったろうが、あいにく、維水志は蚤の心臓。
そのまますごすごと撤退するしかなかったのである。
それが功を奏したのか、維水志の海外派遣は白紙に戻ったのだった。
まあ新事業たって、フィリピンバーだもの。
そりゃそもそも日本でやることになったとしても、維水志じゃムリ。
良かった。人生の歯車がズレなくて・・・。
そして、できねーやつに、「てめー、なんでできねーんだっ!」って言ってもしょーがないことを、あの大使館の女性から学び、今の仕事に生かされている、という点ではいい経験だったのだろう。
初めてのパスポートやらなにやらにまつわる話はだいたいそんな感じ。
その後、旅行でアメリカには頻繁に行った。
シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ・・・。
知人を訪ねてテキサス、ついでにネバダ、そしてフロリダ2回・・・。
カナダも行った。
ハワイは行ってない。
けどそれらはすべて短期間だった。
その後、今の仕事を始めたばかりの頃、もう20年近くも前に、ニューヨークとボストン一ヶ月の一人旅を敢行したのである。
次回からは暫くそのシリーズで。
がんばれ、維水志。「ブログ更新カレンダー埋め一年間」達成まで、
あと70日。
あと70日もあるのだ。
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