2003年 ボストンにて vol.1
ニューヨーク・グランドセントラル駅からアムトラックに乗ってボストン・サウス駅に到着。
その後、連絡用のメールで受け取った通り、地下鉄のレッドラインを利用し、ASHMONT駅へ。
そこに、維水志が約1か月お世話になるホームステイ先のおうちがあるのだ。
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確か、駅から徒歩10分弱ぐらいだったか。
冒頭の写真のような、メインストリートから一本内側に入った通りにその家はあった。
ある日の学校帰りの夕方、この通りの途中の家のバルコニーで、ゲイのカップルが手をつないでまったりしている姿を見た時は、思わず二度見をしてしまったほど衝撃を受けたものだ。
そして、維水志より先に同じホームステイ先にステイしている日本人女性が、夜、この通りの近くで二人組の黒人にナイフを突きつけられて金を奪われた、と後で聞いて、ビビった。
ここドーチェスターというエリアなんだけども、黒人街も近くにあって、あんま治安のよい場所ではなかったようである。
こんな家。
これはもうすぐボストンを離れる、という時に撮影したものだ。
でっかいよなあ。
みんなが集まるリビング。共有スペースだな。
ホームステイしているのは維水志だけではなく、この時は他に日本人の女性、韓国人の男性がいた。
後半、韓国人が去った後、すぐにベネズエラの女性が入居した。
それだけ人気があるってことは、受け入れ態勢がしっかりしてしてたのだと思う。
1階のキッチン。キッチンは2階の夫婦専用スペースにもある。
実際、二世帯住宅だった。
1階はホームステイ様用なわけだ。
朝食はここで、コーンフレーク等を食べるのだ。
流しはディスポーザー付きだった。
維水志が借りていた部屋。
1階には3部屋あったが、それがいつもすべて満杯状態ってのはすごいな。
ここで毎日出る課題をこなしていたものだ。
シングルベッド。
高さがめっちゃ高くね?
一度、寝ている時に落下したことがあったさー。
この高さから落ちたらいてーさー。
めっちゃびっくりしたが、寝てたからか変に力が入ったりしてないんで、幸いなことにどっか体を痛めたということはなかった。
日本人もよく来るみたいで、それ用なのか、和テイストの部屋だった。
確か、お土産は扇子でも持ってったのかな。
扇子はすでにあったようだが。
フローリとリック夫妻。
奥さんのフローリは確か学校の先生だった。
会話をしている際、維水志がおかしな表現をすると、すぐさま訂正してくれるのは有難かった。
リックは音楽制作をメインの仕事していて、自作のCDも自費販売している。
数枚いただいた。
今みたいにボカロなんかないからか、曲は全てインストルメンタルだったが、なかなか良かった。
今も活動してんのかな。ボカロPになってたりして。
後に日本やってきたことがあって、そんときゃ浅草を案内、とまではいかないが、ご一緒させてもらった。
結構、裕福だったんだろう。
これはそん時の写真。
同居人の日本人女性は、大学生だったか。
行ってる学校も同じだったかも。
彼氏持ちだと最初に聞いたので、あんまり興味がなかった。
維水志はこの時すでに41歳だったんで、アプローチしたところで相手にされなかったろうし、自分から壁を築いていたことは否めない。
実際、語学学校でも若い人ばかりが目立ってたんで、自分ではどこにいても浮いている感じがしたし。
まあ自己鍛錬のために来ているので、別に気にしてはいなかったが。
一方、韓国人男性はサムソンに努めている優秀な人材で、30代だったかな。
語学研修でどっかの大学に短期留学していたようだ。
車も会社から支給されているという。めっちゃ素晴らしい待遇やん。
で、維水志を含めたこの三人で一緒に行動することが多々あった。
一度、彼にその車で観光に連れて行ったもらった。
語学学校はハーバード大学のあるハーバード駅にある。
同じ地下鉄レッドラインで40分ぐらいかけて通ったのだ。
土日は主に観光。
素晴らしい体験だった。
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