2003年 ボストンにて vol.6
で、肝心の語学学校だが、そっちはそっちでそれなりにしっかり身になったと言えるだろう。
これは卒業式的な最後の集まり。
ロッカーに座って教師の話を聞くって・・・。
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ハーバード大学のすぐ近くにある語学学校。
ハーバード大学へも気軽に遊びに行って、グッズを買ったりできる距離にある。
そして街全体の年齢層が若かった。
これは人気の先生(ピンクのノースリーブ)がクラスのみんなでランチをしようと誘ってくれた時のもの。
一番奥のレッドソックスのキャップをかぶっているのが維水志。
このクラスは割と日本人率が高かったが、全体的にはいろんな国籍の人がいた。
南アメリカ、アジア、ヨーロッパ・・・。
ホント、グローバルだった。
それぞれの国で英語の発音にクセがあるもんだから、それを聞きとるのにかなり苦労をした。
例えば日本人がLとR、THや、シとスィの発音が苦手のように、韓国の人はPの発音が苦手のようだった。
ドイツ人のもこれまた独特な響きがしたもので、南アメリカ系になるとそれまた全く別の言語に聞こえる始末。
一番キレイに聞こえたのが、クロアチアから来ていた女性だったか。
ノーマルな英語発音でさえ、リスニングに難があったのでそりゃもう大変だった。
否、そもそも維水志の場合、日本人同士の会話ですらよく「え?なんですって?」と聞き返すことが多いのである。
もしかしたら精神的な病かもしれん、とたまに思うくらい。
けども、この先生は、それを全てきちんと聞き分けられる人だった。
どっかの国の人が発言していて、維水志は、「いや、おまえ、それ、英語?」って思ってしまうのだけれど、先生はちゃんと理解しているのが驚きだった。
発音に自信のある維水志だが、「おまえはイギリスで勉強したことがあるのか?」と、聞かれたから、きっと発音がイギリスっぽかったんだろう。
とにかく、まあ何でも真摯に応対してくれる、いい先生だった。
話し方もゆ~っくりで、とても分かりやすかった。
これはその先生と南アメリカ系の生徒さんたち。
確か、最初クラス分けのテストがあったと思われる。
で、維水志は筆記は得意なもんで、かなり上のクラスに入れた。
けどリーディング・ライティング能力とリスニング・スピーキング能力はそりゃあもう別もんなのだ。
だからついていくのがすげー大変だった。
そしてわかっていたことだが、こちらでは発言しなければ、そこに存在していないのと同じになる。
まるで空気みたいな存在になり、完全に無視されるのである。
文法なんか気にしていたらしゃべれるもんではない。
昔、日本の英会話教室に通った時、クラスにいたおばちゃんがめちゃくちゃな英語でうるせーぐらいしゃべりやがるのだけれど、それが正しい姿だと言える。
後はまあ人種差別みたいな部分を感じることも多々あった。
実際、そうだったんだろう。
総じて、東海岸は西海岸ほど人がフレンドリーではなかったと言える。
サンフランシスコやシアトルで、無視された、と思うような経験は一度もなかったもの。
そーいや、リスニングの授業で、授業の半分ぐらい映画の場面を聞き取るだけ、みたいなのをやる先生がいて、そんなの家にいてもできる、って行政側に文句を言いに行ったら、真摯に対応してくれて、そのクラスを替えてもらったことがあった。
で、その後、その先生と廊下ですれ違う際に、めっちゃ睨まれて怖かった、ということがあった。
「てめぇ、アジア人のクセに難癖つけやがって」、って感じだったのだろうか。
まあいーさ。
維水志のが正しい主張だったのだ。
この人はどっかのクラスで仲良くなった韓国人女性。
めっちゃチャキチャキしてたな。
韓国人女性ってのはこーゆーのが多いのかな。
こちらは台湾から来た方々。
台湾の人には割と温かく受け入れてもらっていたような気がする。
もっと仲良くしときゃ良かったよ。
いずれにしても、もっと若い時に、こうした経験をたくさん積んでおくべきだったろう。
本当にやりたかったんなら、やれたはずだ。
やらなかったのは、逃げの、いつまでも何かに頼ってしまう甘え心を持っていたからだ。
まあもう遅いが。
さて、こうしてボストンに別れを告げ、再びニューヨークに戻るのだ。
だが、その前に、二つのボールパークへ行った記事も書いておかないとね。
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