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マイ歌謡編集後記 14

語りつくせぬ歌謡曲の魅力。

本日は維水志の思い出と共に、「80年夏~秋」と題してお届けします。

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オリジナルカセットに収録されていたのとそうでないのが半々ぐらい。思い出せない。

十六作目(80年-02)

RIDE ON TIME/山下達郎

ロックンロール・ウィドウ/山口百恵

恋のバッド・チューニング/沢田研二

ハートで勝負/石野真子

ゴーイング・バック・トゥ・チャイナ/鹿取洋子

裸足の季節/松田聖子

涼風/岩崎良美

スタア/甲斐智枝美

No.1/柏原よしえ

哀愁でいと/田原俊彦

さよなら好き/浜田朱里

大きな森の小さなお家/河合奈保子

雨の慕情/八代亜紀

順子/長渕剛

ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ

私はピアノ/高田みづえ

いなせなロコモーション/サザンオールスターズ

Yes-No/オフコース

トゥナイト/シャネルズ

Howmanyいい顔/郷ひろみ

狂った果実/アリス

そんなわけで、恋愛には脈がないことを知った維水志は、二年の終わりからはもうずーっとバンド活動に勤しんでいた。

以前、「維水志バンド史」で書いた通り、6月に他校での文化祭、8月に有志バンドでのコンサート、10月に自校での文化祭、と、立て続けに人前で演奏する機会が続いた。

ほとんどが初めて演奏する曲だったもんで、そりゃあもう毎日が耳コピと演奏練習の日々だった。

「おいおい、受験勉強しろよ~」と、当時の維水志に呼び掛けたい。

仲間うちには一緒にバカをやりながらも、しっかりと受験準備を進めている連中もいた。

なんたって進学校だったから。

維水志は、出身中学のレベルが低過ぎたため、普通にしてりゃ高内申点になる、という恩恵があったからこの高校に入れたのだ。

当時の神奈川の高校入試は、内申点と中二の三学期に実施されるア・テストと呼ばれる県内統一テストでほぼ7割が決まるのだった。

なので入試でどんだけ下手こいても内申点が高ければたいていは受かるのである。

高校に入学してから他の中学出身の仲間に、ア・テストや入試の得点を聞いて、維水志のその低さにと、逆に内申点の高さに愕然としたものだった。

そして高校受験前に通っていた塾の先生の、「おまえらよく受かったよな」という意味がそこでようやく理解できたのである。

当然、入学して最初の中間テストでは45人中、45番という、とても不名誉な記録を打ち立てたのは言うまでもない。

まあそんなんだから勉強なんかできるわけがなかったのだ。

高三になってもそれは変わらず。

一応、何を血迷ったか、建築士になりたい、とかぼんやりと思っていたのはきっと親の入れ知恵だったに違いない。

それで理系を選んだ。

当時の高校では珍しく、共通授業はレギュラークラスで、理系や文系で別れる授業は、その時間になったらクラスを移動して受けるというシステムだった。

で、維水志は数Ⅲ・物理クラスを選択したという・・・。

当然ながら人生初の零点というものを物理のテストでゲットしたのさー。

で、理系のほうが全体的に少なかったのか、三つある数Ⅲのクラスは定員45名の教室なのにも関わらず、どれも20名そこそこしかいなかった。

当然、向学心の高い連中が前の席を占めていたが、維水志を含むぱーぷー連中はそこから間を開けた、随分と後ろの方を占領していたのである。

確か6名だったか、こいつらは同じ数Ⅲのクラスでも、「数Ⅲ就職クラス」と呼ばれていた。

否、自分たちでそう呼んで卑下していた。

数学の点数が30点を超えたらそれでもうその6名の中では主席確定なのだった。

ちなみに一般クラス(といっても同じクラス)の連中はのきなみ50点以上は取っていた。

実際、この中で現役で大学に入ったものは一人もおらず、浪人後、理系大学に無事に入ったのはたったの一名。しかもその後中退するという・・・。

他は、というと、1回目の受験で自分の浅はかさに皆気づいたのか、早々と文転したのだった。

結果、維水志を含めた浪人3名は文系、漫画家が1名、自衛隊が1名、だったと思う。

笑う。

けど、漫画家はすごいし、自衛官もその後航空自衛隊パイロット免許取得と共に退役し、今ではドクターヘリのパイロットをしているのである。

まあ中途半端に大学に進学した残り4名はやっぱアウトだな。

否、ダメなのは維水志とタコセだけかしら。

英文科の維水志、初等教育学科のタコセ両名はいまだにしがない個人塾の経営者でしかない。

あんなに勉強ダメなやつらが教える立場だなんて・・・。

人生、いろいろだねぇ。

そんな数Ⅲ就職クラス卒の維水志が今回語るべき曲は、

「ロックンロールウィドウ」

バンドで演奏した曲。

ベースを弾きながら、「かっこ、かっこ、かっこ・・・」ってハモるのがめっちゃ難しかった。

実際、最初の音を外した。

それにしてもこんなハードな曲を歌いこなすだなんて、山口百恵ってやっぱ凄いのかも。

「恋のバッド・チューニング」

ばっちゅに~ん、ばっちゅに~ん♪っていうバックコーラス?がいーんだ。

ゴーイング・バック・トゥ・チャイナ」

これ、名曲だと思うんだがあんまりヒットしてないよなあ。

維水志も当時友達から教えてもらいその存在を知った覚えがある。

裸足の季節

松田聖子がデビューしたかあ。

ちなみにこの曲は青い珊瑚礁と比べるとそんなでもなかったよなあ。

この後、あんな大物歌手に成長するだなんて・・・。

確か、誰かがどっかのイベントで撮ってきた松田聖子の生写真がクラスに出回っていた。

まだそんなに人気が出てなかった頃のものだったろう。

「涼風」

一曲目とは随分とイメージが違っていたが、どっちも好きだった。

「さよなら好き」

入手に苦労した。

この人も松田聖子の同期ってのは、こうしてみないとなかなか気が付かないかもしれん。

浜田朱里だけでなく、河合奈保子や柏原よしえも、ね。

「ジェニーはご機嫌ななめ」

これより「恋はベンチシート」のほうがインパクトがあった。

けど曲としては・・・。

「私はピアノ」

もうこの頃はファンじゃなかったけど、よく復活したと思う。

たのきんトリオ等、こっからアイドル全盛期突入、って感じなんだね。

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