年賀状の意義
今年も年賀状を書かなければいけない時期がやってきた。
ここ数年はこの時期多忙なのを理由に、デザインの作成はマイハニーにお願いし、印刷も含めて全てを一任している。
で、自営業を始めてすでに10年以上が経過しているわけだが、この間、新たに年賀状をやり取りするような知り合いが増えたかというと、答えはノーで、いたとしてもごくわずか、と言ってよい。
にもかかわらず、毎年の年賀状の数は60枚を超える。
まあ一流企業に勤めていたら、そんな数じゃ済まないだろうけれど、中小企業に勤めた経歴しかない維水志にとって、この数は多すぎると思うのだ。
それで数を減らしたい、と毎年思うのだが、何を基準に減らせばいいのかわからん。
「もう何十年も会っていない人」
・・・なんてのを基準にしてしまったら、60枚の大半を占めてしまうんじゃなかろうか。
それつまり、年賀状はもう出さない、ということになってしまうわけで・・・。
そうは言っても、「年賀状を出すことは礼儀」、と考えるような親族がいる場合は怒られるんで、面倒くさいけど出さないといけない。
どのみち書かなきゃいかんのなら、今まで通りでいーんじゃないか?とも思う。
実際、一時的な付き合いだけだった人達と未だに年賀状だけのコンタクトが続いている。
職場関係なら維水志の職歴から言うと6~7年の付き合いがあったからまだしも、教え子なんかはそれこそ2,3年ぐらいしか付き合いがなかった挙句、それ以来会ったことがない、というのが実情だ。
つまりもう何十年も顔は愚か、声すら聞いていないのだ。
教え子と言っても当時は維水志自身の年齢から10歳そこそこしか離れていなかったわけだから、彼らももういい歳なはずで、それなのに年賀状に、「未だに一人です」とか書いてあると、「おいおい、だいじょぶかあ?」とちょっと心配になったりする。
まあ他にも、「今年は飲みましょうね」なんて書いてあるのもあるが、この挨拶も、「あけましておめでとうございます」と言っているのと何ら変わらないようにも聞こえる・・・。
けれど、こうして「生きてますよー」(とは書いてないが)という知らせが年の初めに送られてくるというのはとてもいいことなんじゃないか、と思うのだ。
実にめでたい。
こうしためでたい知らせが、年に一度、たった52円で送ってもらえるなんて、有難いことじゃないか。
ならば無理して年賀状の枚数を減らすこともあるまい。
今年は友を一人失った。
毎年あるはずの彼からの年賀状が、来年以降、届くことはないのだ。
元日のめでたい知らせを進んで減らす必要はない。
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