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維水志の西地方の記憶

昨日の記事を書いていてふと思った。

「バイクで」という条件を無視したら、自分は日本全国で行ってないところってのはどこなのだろうか?

と。

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記憶が確かならば、まだ行ってないのが山口県島根県の二つだけのようだ。

沖縄にも行っている。

だが、一度訪れたことがあっても、道後温泉のように是非とも再訪したい場所と、そうじゃない場所の両方がある。

せっかくまた行くチャンスがあるのなら、そこらあたりも整理しておくべきだろう。

昨日のコース別を使って吟味しておこう。

コース① 香川、徳島、高知、愛媛、広島、山口、島根

四国4県は、13年前の2007年、母ちゃんと友人イチの三名の珍道中だった。

イチが時刻表マニアというか、効率よく移動計画を立てるのが得意というのがあって、彼に四国旅行の案を練ってもらったのだ。

だが任せておいてこんなことを言うのもなんだが、今考えると、彼にすべてを丸投げするのは結果的によろしくなかった。

彼の計画は、一日のほぼ全ての時間を移動に費やすという傾向がある。

この翌年の大阪京都旅行、さらにその翌年の長崎旅行でもほぼ移動が中心。

つまり、一か所に落ち着けず、常に慌ただしい感が付きまとうのである。

せっかく遠方まで来ているのだから、いろんな場所を訪れたい、という気持ちはわからないでもない。

実際、同じ2007年の維水志が計画したマイハニーとの和歌山旅行もこれと同じ傾向だったのを見ると、それまでの維水志の旅行の仕方もこれと同じ移動中心の傾向があったわけだ。

そのため、この時点ではあまり大変さを感じていなかったと思われる。

2009年の長崎・熊本旅行で初めて移動ばっかの旅の大変さを思い知ったのだった。

で、話を元に戻すと、この四国旅行も実に慌ただしいものだった。

飛行機で高松空港入りし、そこから主に電車移動で四国を巡るのだが、空港到着後、すぐに高松城へ行った。

そんで特急列車で松山入りで道後温泉よ。

その後、鉄道で行けるところまで南下し、そっからレンタカーで足摺岬へ行くという、殺人的なスケジュールだった。

足摺岬のホテルに到着したのは、すっかり日が落ちてもう真っ暗になってからだったよ。

風呂もろくすっぽ入れなかったような・・・。

んで、翌日、土佐まで移動。

昼はカツオのたたき定食。

どっか高知と徳島の間ぐらいの山ん中の知らない温泉地で一泊。

どんな宿だったかすら覚えていない。確かめっちゃ安い宿だったはず。素泊まり?だったに違いない。

夕食が何だったかすらわからん。写真に撮る価値もなかったのだろう。

そっから再び電車で鳴門海峡を見に行く。

どっかでうどんを食べ、さらに徳島ラーメンを掻っ込み、再び高松空港から帰るという・・・。

で、これが唯一の四国旅なのである。

まあ次回行く際は、バイクだから移動の自由はもっとあるものの、こんな感じにだけはしたくないものである。

一度にこのコース、7県を巡るならやっぱ8日間ぐらいは必要だろうよ。

実際往復だけで二日を費やすわけだし。

そして広島だが、ここを訪れたのは、もう維水志が中学1年の時さー。

江田島に家族ぐるみの付き合いがある知り合いがいたのだ。

夏休みにそこで1か月を過ごした。

当時、喘息の治療に効く有名な医師が鳥取にいるとかで、広島のその知り合いの家に宿泊している間にそこへ連れて行ってもらう手はずになっていたのだった。

中学に入学して以来、喘息で1週間学校を休んだりするのがざらだったため、業を煮やした両親がそれを決断したのだった。

その情報を親がどういうつてで手に入れたのかは不明である。

滞在の主な理由は療養だったが、そこの家の子供と遊ぶのがとにかく楽しかった。

高校生のお兄さん、中三のお姉さん、小三の弟くんの三人だった。

お兄さんと弟くんとは広場でひたすら野球三昧。

中三のお姉さんとは芸能人の話で盛り上がったりしたのだった。

ってか、これが維水志が歌謡曲に目覚めるきっかけだったのかな。

で、そこのご両親にはその貴重な1か月の間に、宮島やら広島市民球場やらいろんなところに連れて行ってもらったのだ。

当時の広島がめっちゃ弱いせいで、タクシーの運転がめちゃくちゃ荒い、とそこの家のお父さんが言っていたのを覚えている。

けども、その一家、元々横浜に住んでたもんだから、読売ファンで、小三の弟君が読売の帽子をかぶってたからいけなかったんじゃなかろうか・・・。

瀬戸内海で海水浴もやった。

そこではカブトガニを発見したんだったな。

一方で、鳥取は、訪れたことがある、と言っても、要はこの期間にその医者に行っただけなのである。

夜中に車で出発し、朝方着いたという記憶。

どこをどう走って行ったのかなんて知る由もない。

そんで、どんな治療をすんのかと思ったら、注射を一本打つだけだったという・・・。

実際、その後1年ぐらい喘息の発作が出なかったが、その注射のおかげだったのか、はたまた1か月間空気の綺麗な江田島で暴れまくって体力が付いたからだったのかは未だにわからん。

が、その10年後ぐらいに、アトピーの治療で皮膚科を訪れた際、パッチテストでアレルゲンがハウスダストだっという衝撃の事実を知って以来、あの注射は単なるプラシーボ効果だったんじゃないかという疑いを持つようになった。

まあだから、広島の記憶って、こんな昔のものなんだ。

故に、広島についての計画は新鮮な気持ちで立てるのがいいだろうな。

そして未知の山口と島根かあ。

じっくりと下調べをしようじゃないか。

ありゃ、このパターンで暫く続けられそうだわ。

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